- 2011.04.01
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「花見の歴史」
花といえば何といってもサクラです。私たち日本人はサクラを花見で楽しみますが、花見は日本独特の文化のようです。古くから日本人に愛されてきたサクラ、その花見にも長い歴史があります。
大和~奈良時代
サクラの記述は日本最古の書、古事記(712年成立)に見られます。穀物・田の神とされる「木花之開耶姫<コノハナノサクヤヒメ>」の<コノハナ>はサクラを指し、穀物の種まきの頃に咲き誇るサクラが、この神の依代(よりしろ:神霊が寄りつくもの)であったとされていたようです。サクラは花の美しさを楽しむものではなく、庶民の信仰の対象であったと考えられています。
しかし万葉集の時代、花といえばウメを指しました。万葉集(7世紀後半~8世紀後半成立)で詠まれた花は、ハギ140首・ウメ118首に対し、サクラはわずか40首ほどしかありません。中国からの渡来種であるウメは、珍しさや大陸の貴族文化への憧れから特にその存在を重要視されていたようです。平安時代~鎌倉時代
平安時代になると、貴族たちの間でサクラを邸内に植えるのが盛んとなり、古今和歌集(905年成立)でもウメを詠んだ歌20首に対してサクラを詠んだ歌が110首と、花といえばサクラ、の時代に入っていきました。外来種のウメでなく日本古来の自生種であるサクラの美しさに人々が気づいた時代と言えます。宴としての花見は、812年嵯峨天皇がサクラを見、文人たちに歌を作らせたのが最初とされています。
鎌倉時代には、後嵯峨上皇が京都の嵐山に奈良吉野のヤマザクラを多数移植して花見を楽しんだことが知られています。室町時代~安土桃山時代
この頃から、秋の紅葉狩りと並んで春の花見が日本独特の行楽行事となっていったようで、足利8代将軍義政などが京都東山などで豪華な花見を行うようになりました。安土桃山時代に豊臣秀吉が行った大規模な「醍醐の花見」は特に有名です。しかし、花見はまだ上流階級の行楽でした。江戸時代~近年
戦国時代も終わり太平の世となった江戸時代は、学問や芸術・文化が栄えた時代でした。
サクラの世界も同様で、3代将軍家光を初めとした、サクラを好んだ各代将軍によって植栽が盛んに行われ、参勤交代によって江戸がサクラの品種交流の場となったことから、数多くの栽培品種が誕生しました。現在最も有名なサクラ:ソメイヨシノが誕生したのも江戸時代後半です。花見を行うのも支配階級から庶民へと広がっていき、数多くの名所が誕生した時代でした。先日の東北関東大震災の影響で、各種イベントが自粛となっています。自粛ムードの行き過ぎを指摘する声もありますが、この時期サクラの木の下で飲めや唄えやの花見があまり印象の良くない事も否定はできません。
無事にサクラの美しさに感動できることに感謝しつつ、古くは神のよりどころとして信仰心をもってサクラに接していたいにしえの人々を思いながら、被災された方々も笑顔でサクラを眺められる日がいち早くやってきますよう願わずにはいられません。