2013.11.01

“鬼女 紅葉(もみじ)”

秋も深まってきました。 “松をいろどる楓や蔦は山のふもとの裾模様”になるのも間近ですね。 秋の行楽といえば、やっぱり紅葉狩り。 あでやかな彩りに誘われて、紅葉の名所へおでかけの方も大勢いらっしゃることでしょう。
ところで、キノコあるいは梨や葡萄のように実を採るわけでもないのに、何故“紅葉狩り”なのでしょうか? 国語辞典で「狩り」を引くと....

①鳥獣を捕えること。魚貝をとること。
②自然のものを眺めたり採ったりして楽しむこと。

なるほど、「狩り」には「眺めて楽しむ。」という意味があるのですね。 平安時代には、紅葉した木の枝を手折って手のひらにのせて鑑賞する、という鑑賞方法が既にあったそうです。 さて、今回のコラムは、その紅葉狩りについて....ではなく、“紅葉狩り”は“紅葉狩り”でも、紅葉(もみじ)伝説の“鬼女 紅葉(もみじ)”についてのお話しです。 いつものコラムと趣が異なりますが、どうかお付き合いを。

さて、紅葉伝説とは鬼女にまつわる伝説であり、信州戸隠や鬼無里(きなさ)地区等に伝わるもので、“紅葉”はその主人公です。
鈴鹿山の“鈴鹿御前”、安達ヶ原の“鬼婆”と共に鬼女伝説として有名なので、みなさん御存じでしょう。
あらすじを記しますと....

平安の昔のこと。紅葉は、源経基の寵愛を一身に受けようと、正妻を呪い殺そうと企てましたが、ほどなく露見し信州戸隠へ追放されました。そして、まさに紅葉彩る季節、水無瀬の里に辿り着きました。都の文化に通じ、しかも美人である紅葉は村の人達からたいへん敬われましたが、やはり都の暮らしが恋しくてなりません。経基に因んで息子に“経若丸”と名づけたり、なにかにつけて都を偲ぶ紅葉を不憫に思った村の人達も、村の各所に都にゆかりの地名を付けて慰めていました。けれども、かつての都での華やかかりし日々は忘れ難く、恋しさは募るばかり。しだいに紅葉の心は荒んでいき、やがて戸隠山へ籠り、夜毎に他の村を荒しまわるようになります。噂は“戸隠の鬼女”として都にまで伝わりました。「そんな魔物がもし都を襲って来たら....。」と、都中が震えあがります。朝廷より鬼女討伐を任ぜられた平維茂が勇躍出陣したものの、紅葉の妖術を前に全く太刀打ちできず、完膚なきまでに叩きのめされてしまいます。もはや神仏にすがる他ないと、別所北向観音様へ17日間参篭して必勝を祈願。ついに紅葉も敗れ、維茂が振るう神剣により討たれることとなりました。冬の足音がきこえる晩秋のことでした。維茂は紅葉の亡骸を埋葬し、五輪塔をたてて供養しました。

....かなり大まかではありますが、ご容赦ねがいます。

この伝説、地域によりさまざまで、どれが正しい言い伝えというのは無いのだそうです。
紅葉が妖術あやつる魔物という共通項の他は、

「都追放の理由は無実の罪を着せられたから。」

「我が子の将来のため都へ何度も使いを出した。」

というような細かい差異が無数にあるそうです。 しかも、鬼無里地区は魔物ではなく、とても敬う女性として言い伝えられているとのことです。
もし、興味を持たれならば、皆さんぜひ調べてみてくださいね。

都を追われる紅葉の哀しさ。

ただただ都を想い懐かしむ紅葉の姿。

我が子の将来を願う紅葉の姿。

都を追われた者の哀しみや、母の愛を感じずにはいられません。 どこか切なくなります。 ただ恐ろしい魔物としてしまうのは、なんだか紅葉が可哀そうに思えますね。

「紅葉は恐ろしい魔物....。」

「....でも、どこか憎みきれない。」

敬い愛すべき女性としても描かれる紅葉伝説。 都から遥か遠く、信州に暮らしてきた人達の紅葉への優しさが伝わってくるようです。 その親愛の情が受け継がれ、やがて戸隠と鬼無里の「鬼女紅葉まつり」となったのでしょう。
もし、この秋みなさんが信州へ、あるいは京都へ行くことがあるとするならば、ぜひ紅葉に思いを馳せてあげてください。 きっと紅葉も喜びます。

紅葉

※本文、あらすじ共に私感が多く入っております。それを前提にお読みください。