2015.09.01

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逗子市第一運動公園にてタイトルへ並べた数字にどのような意味があるのかお気づきだろうか。本来は8月の主題として取り上げるのが最も相応しいのだろう。しかし、先月のコラム‟街路樹”の一文章に思うところもあった。時季外れではあるが、それを承知の上で敢えてこのコラムをお送りしたい。

08.06 08:15/08.09 11:02         ~70年の節目によせて~

‟樹木には(中略)季節の移り変わりを知らせ、癒しや安らぎをもたらす効果があり、私達の様々な助けになっているのです。”

先月のコラム‟街路樹”の中の一文章だ。この文章に思うところ、感じるところがあった。故に、当初予定をしていた主題から急遽変更してこのコラムをお送りする。なお、少々長いコラムになることを予め御容赦願いたい。

被爆樹木
‟被爆樹木”をご存知だろうか。文字通り、70年前の8月6日(月)午前8時15分 広島/8月9日(木)午前11時02分 長崎へ投下された原子爆弾による爆風と熱線によって倒壊、あるいは焼かれた樹木のことだ。被爆後、奇跡的に芽吹き、その後の70年を見つめ続けた彼らの特に代表的な2つを今回ご紹介したい。

ー被爆アオギリ (広島)ー
広島市が選定した被爆樹木の中で最も知られた木であり、広島平和記念公園内に今もなお生きるアオギリ。元々は爆心地から約1.3km離れた旧広島逓信局(現日本郵政グループ広島ビル付近。前中国郵政局)の中庭に植えられていた。中庭が爆心地方向に面していたため、局敷地内の建物の影にならず、まともに爆風と熱線を浴びることとなった。枝葉は全てなくなり、幹は爆心側の半分が焼けてしまった。‟70年間は草木も生えない…”と言われていた中、奇跡的に残った3本が翌年春に芽を吹いた。若葉をひろげたその姿は、打ちひしがれた人々の心に生きる希望を与えたという…。今も6月から7月にかけて花を咲かせるとのことだ。1973年、中国郵政公社が新庁舎へ建て替えるのを機に、平和公園内へ移され今日に至るが、残念ながら3本の内1本は既に枯れてしまったそうだ。

ー被爆クスノキ (長崎)ー
爆心地からわずか800m、長崎市坂本に鎮座する山王神社(一本柱鳥居でも有名)の境内入口に向かい合って立つ2本のクスノキ。激烈な爆風と熱線にさらされた結果、枝葉は全て吹き飛び、幹は上部が折れて黒焦げに焼かれてしまった。熱線により焼かれた火傷跡は現在でも確認できるという。2006年、台風被害の治療の折、被爆当時に刺さったと見られる焼けた石や瓦礫などが発見された。自らの内に、いまも癒されぬ傷を包んでいたことに心が痛む。被爆後、枯れたかと思われたが、2年ほど経ったころ奇跡的に芽吹き、それぞれが枝葉を盛り返した現在は、2本合わせて東西約40m/南北約25mの大樹冠を成しているとのこと。1969年、「山王神社の大クス」として長崎市の天然記念物に指定。豊かな緑が奏でるそのささやきは、境内を、街の中を、そして人々の中を吹き抜ける。

被爆2世を訪ねて
…それぞれをこの眼で確かめたい衝動にかられる。しかし、どちらもかなりの遠方だ。そうはなかなか時間も許さない。ならばその2世はどうか。広島・長崎の両市が平和活動の一環として、平和の象徴として、その種や苗木「被爆アオギリ2世」「被爆クスノキ2世」を国内外へ配布、あるいは贈る活動を行っていることは以前から知っていた。その2世が、自宅近辺に植樹されていないか。調べたところ…見つけた。逗子市が両者の2世を植樹していらっしゃる。逗子市は平和事業を積極的に展開されているそうで、まったく頭の下がる思いだ。これは是非とも会いに行かねばなるまい。

残暑のとある土曜日。小田急線からJR東海道線、横須賀線と乗り継いで、被爆アオギリ2世(逗子文化プラザ市民交流センターフェスティバルパーク)電車に揺られること1時間少々。逗子駅に降り立つ。駅前で朝食を済ませ、強い8月の突き刺す日差しの中、歩を進める。被爆アオギリ2世は、「逗子文化プラザ市民交流センターフェスティバルパーク」内に。施設の入口を抜けて中庭へ。その一角、柵に守られるように植えられている。周囲に伸びた雑草が少々気の毒だが、逢えた喜びにしばし浸る。同時に親木が受けた被爆の辛さに思いを馳せる。2004年の「逗子市非核平和都市宣言」から10周年を記念し、被爆アオギリ2世 案内板植樹された旨の看板文の説明に畏敬の念を抱きつつ、短い黙祷をささげる。まだまだ幼木だ。これから先いつまでも、核兵器の悲惨さを広島の親木に代わって人々に伝え続けて欲しい。健やかな成長を祈りながら施設を辞した。

…湧き出る汗を拭いつつ、横須賀線沿いの県道を進む。とにかく暑い。暦の上では秋なのだが、まだまだ盛夏の様相だ。15分ほど歩いただろうか。被爆クスノキ2世が居る第一運動公園は、プールや野球場、テニスコート等の施設が整う大きな公園だ。(余談だが、この公園はかつて池子弾薬庫の敷地の一部であった。)

被爆クスノキ2世は、体験学習施設の傍にアオギリと同様、柵に守られるように植えられている。被爆クスノキ2世(逗子市第一運動公園)同じく幼木ではあるが、夏空へ向けて精一杯に枝葉を伸ばしている。先のアオギリでも思ったのだが、柵が少々目障りだ。ところで、こちらのクスノキは以前、心無い者に引き抜かれたことがあるそうだ。単なる悪戯だったのか。平和事業を快く思わない者の仕業なのか。いずれにしても、そのような人がいることは誠に残念でならない。目障りなほど厳重な柵。しかし、この厳重過ぎる柵がかえって被爆クスノキ2世 案内板「平和事業の願い・祈りは絶対に守り抜く」という逗子市の強い思いを訴えかけているかのようで、改めて頭が下がる。プールからは子供たちの歓声が聞こえる。短い黙祷。歓声を背に聞きつつ公園を後にした。

70年の節目によせて
70年の節目。この世の流れが良いのか悪いのか。それをここへ記すつもりはない。ましてや、ここはそのような場でもない。しかし、これだけは言わせてもらう。教科書で、教室の中で教えようとする、そんなまやかしの‟愛国心”に何の意味がある。…あの夏の日。あの8月の日。2つの原子の雲の下で何があったのか。爆風にさらされ、熱線に焼き尽くされた生命(いのち)が確かにあったこと。その多くの生命へ70年という節目の年、心新たに思いを馳せることは意義のあることだ。

いくら怨んでも。いくら悔やんでも。いくら悲しんでも過去は取り戻せない。だが、記憶に刻む。心に刻む。なおも刻む。振り返る。なおも振り返る。そして見つめ直すこと。受け継いでいくこと。

君は瞳を逸らしてはいけない。耳を塞いではいけない。切り捨ててはいけない。それはヒロシマのある、ナガサキのある、この国で生を授かった者すべての義務なのだから。

…そういえば、今日は天気予報を見ていない。
今日は親木たちの上にも夏空がひろがっているのだろうか…。
あの夏の日も今日と同じような夏空がひろがっていたのだろうか…。
いつかきっと親木たちに逢いに行こう。何を語ってくれるだろうか。何を語ろうか。

晩夏のごく普通の一日。ごくごく普通の土曜日の昼下がり。駅までの道程をそんな思いを抱きながら。

‟樹木には季節の移り変わりを知らせ、癒しや安らぎをもたらす効果があり、私達の様々な助けになっているのです。”

三浦半島夕景

         ヒグラシが夏の終わりを告げていた。

ー被爆アオギリ2世ー
逗子文化プラザ市民交流センター
所在地:神奈川県逗子市逗子4-2-11フェスティバルパーク内
開館時間:9:00〜21:00(受付は20:00まで)
休館日:毎月第1・第3火曜日(祝日の場合は開館し、それ以降の最初の平日に閉館) 年末年始(12月29日〜翌年1月3日)
アクセス:京浜急行逗子線「新逗子」駅より徒歩2分/JR横須賀線「逗子」駅より徒歩5分
ー被爆クスノキ2世ー
逗子市第一運動公園
所在地:神奈川県逗子市池子1-275-1体験学習施設「スマイル」横
アクセス:京浜急行逗子線「神武寺」駅より徒歩10分/JR横須賀線「逗子」駅より徒歩10分
※いずれも逗子市ホームページによる。